解決に向けて

7月末に、地域で公調委裁定に関する弁護団による説明会が行われた。会場に溢れた参加者には「杉並病が解消した」という顔はなく、今後も続く操業と被害に不安を持つ顔ばかりであった。参加者から「裁定により『杉並病は解決した』と思っている住民が多い。しかし被害は拡大浸透こそすれ、解消はしていない」「地域ではこれまで公調委申請以外にこれといった住民運動がなく、住民の認識が薄い。まず現状を幅広く知らせ、関心をたかめよう」という声があった。杉並区は、2000年10月発表の見解と、公調委の裁定により、一段と「被害は終息した」との立場から、操業の継続姿勢を強めている。公調委の裁定直後、「ゴミの減量対策を進めなるべく早い時期に中継所を不要なものにしたい」と杉並区長は述べている(東京新聞)。

だが、杉並区『環境白書』の『資料集』(2001年・平成13年度)によれば、杉並区の清掃事務所からの搬入は、2000年度には1996年度の約7割に減少している。にもかかわらず、1996年度には19%であった練馬区・中野区からの搬入は、2000年度には杉並区をしのぐ51%にもなり、総量を10トンもおしあげている。また、中継所周辺の土壌からは極めて高い数値のダイオキシン類が検出されている。国のゴミ処理・リサイクル施策も含め、取り組まなくてはならない課題はあまりにも多い。住民たちは、2002年11月には、井草森公園周辺の動植物・人間の被害写真の展示や講演の集会を行うなど、運動のひろがりに向けて動きはじめている。

まとめ 2002年3月時点

1.都は周辺環境問題調査委員会で井草の健康被害と中継所の因果関係を認め、石原知事は謝罪した。しかし、都は「原因を硫化水素」とし、下水施設改修以降は被害はないとしている。但し、都のいう下水の流れの範囲と発症地域とは合致しないうえ、現在も新しい転入住民に発症者が出ている。 

2.都は、損害賠償に関して対象者の条件を決めておきながら、対象地域以外にも申請書類の送付を認めた。これは、被害の原因が硫化水素のみではないとする証拠に他ならないと考えられる。

3.杉並区は周辺環境問題に係る健康調査委員会で、健康被害と中継所の相関関係を認め、1999年9月に、山田区長は原因究明を約束した。しかし、中継所の区移管後行われた「環境点検調査」の結果、「環境基準を下回っている」ことを根拠に、区長は「中継所は周辺環境に影響を及ぼしていない」と事実上の安全宣言を行った。これが現在の杉並区の公式見解となっている。

杉並病をなくす市民連絡会

杉並病は確かに存在し、 いまも無くなってはいません。 ただ、無いことにしたい人たちが 存在するだけです。

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